恐るべき、さぬきうどん

21世紀に入ってしばらくたった頃、「恐るべきさぬきうどん」というのが巷で流行った。わたしはある雑誌の付録冊子で初めて知ったのだが、生まれてこの方「うどん」などという食べ物に興味をもったことはなかった。ラーメンならまだしも、うどんが美味いはずがない。

恐るべきさぬきうどん―麺地巡礼の巻
恐るべきさぬきうどん─麺地創造の巻─

その頃わたしは、大阪の会社に勤め、尼崎に住んでいた。
関西。粉もの文化。濃い文化。

タコ焼きやお好み焼きをオカズに、飯を食う人々。豚まんの皮は分厚く、串カツの衣にはダクダクのソース。ソースをかけるのではなく、ソースの中へ串ごと投入。兵庫県の明石焼きはタコすら入っておらず、粉密度はさらに高い。行列のできるチーズケーキは甘さ控えめで、粉密度が高い。美味しいパン屋が唸りをきかせているが、あれもよく考えれば粉の塊なのであった。

うどん。小麦粉のかたまり。

好き嫌いの少ないわたしではあるが、小麦粉を水で練ってかためた食材だけは苦手だった。すいとん、わんたん、水餃子、等々。その系列で、白玉や餅も苦手。麺類も好きではなかった。ラーメン、蕎麦、そうめん、冷や麦、ほうとう、そしてうどん。粉率の高いうどんは、特にダメ。まともに食べたことすらなかった。わたしの人生に、うどんは必要ない。

讃岐うどんの本場、香川県は、大阪の目と鼻の先にある。ある日、会社の同僚から、週末さぬきうどんツアーへ行こうと誘われた。金曜の夜に大阪港からフェリーに乗り、翌朝四国へ上陸。現地でレンタカーを借り、土曜は一日さぬきうどんの店をはしご、夜フェリーに乗って大阪へ戻る。日曜の朝は大阪で〆のラーメン(名前を忘れたがかなり有名)を食べ、解散。

ゼロ泊3日の麺ざんまいツアー。先に述べた通り、わたしはうどんにもラーメンにもまったく興味はない。しかし、ツアーのメンツとその内容がおもしろかっただけに、二つ返事で了解した。

結論から先に言おう。

讃岐うどんは、文字通り、恐るべしだった。歯に返ってくる弾力が半端ない。この世に、ふやけて噛む必要もなくなったうどんほど不味いものはないが、讃岐うどんも放置すればそうなるのだろうか。「歯ごたえのない讃岐うどん」が想像できない。それほど存在感のある麺だった。

いずれにしろ、讃岐うどんは、うどん嫌いのわたしですらうまく感じられるほどの、驚愕の麺であった。

後日談だが、秋田の稲庭うどんも旨いと思った。讃岐うどんより細めで繊細、しかも歯ごたえがあり、のど越しもいい。それから京都のうどん。基本的に京都は何を食べてもうまいが、うどんも相当にうまかった。麺もいいが、スープがいい。繊細で複雑で見た目にも美しいスープ。あの京都のうどんをもう一度たべたい。

しかし、基本的に麺が好きではないわたしのなかで、人生で最高に美味かった麺料理は、沖縄は石垣島の明石食堂で食べた「ソーキそば」だ。トロットロの軟骨ソーキ(煮込んだ豚肉)が入っており、ひと口くちに含んだ瞬間、あまりのうまさに脳がトリップした。こんなうまいものがこの世にあったのか・・

なにしろわたしは食レポができないのでこれ以上は書かないが、さぬきうどんは沖縄ソーキそばには敵わないものの、稲庭うどんとはいい勝負。ちなみに、秋田名物のもう一方の雄、きりたんぽに関しては、かなり苦手だ。なぜあれを鍋に入れる?そもそも、わざわざ手間かけて潰して不味くせんと、米として普通に食べればええがな。

ということで、先日たまたま読んだ勝谷誠彦の食の極道―喋るも食うも命がけという本がかなり秀逸だったので、そしてそこに讃岐うどんがエントリーしていたので、あらためて元祖恐るべきさぬきうどんを読んでみたといういうわけであった。

皆さん、人生は短い。美味いものを食べましょう!






posted by ヒロミシュラン at 12:02 | Comment(0) | 美味しいものを食べる旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする