小説家 村上春樹が、優れた翻訳家でもある理由

村上春樹の「タダモノでなさ」を物語る1冊、村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

本書は、村上自身が編んだもの。つまり本人的にも、自分の有能さの自覚と、自分の仕事に対する自信があるのだろう。これは、皮肉でも冷やかしでもない。実際、彼が自分について語るところはその通りだと思うし、努力も才能も、一般人とはまったく違う次元で勝負している。

村上春樹は、基本的には小説家。長編、中編、短編、まんべんなくいける。世界で最も有名な日本人作家でありながら、ニッポンの文壇には毛嫌いされ、芥川にも直木にも箸にも棒にもかからない。今んとこ、ノーベル賞にも嫌われている。国内外でこれほど人気があるにも関わらず、メジャーどころの文学賞はとことん逃している無冠の王。それが村上春樹だ。

当然、本人もそれを自覚している。開き直りか、多少の自虐か、彼の著書には、文学賞の対象外である「雑文系」が多い。フィクション、ノンフィクション、エッセイ、紀行文、児童書、対談、インタビュー、講演等々。さらに、ゆるくはネットの読者相談コーナーから、重きはマニアックな音楽評論まで、村上春樹の守備範囲は広い。

しかも彼は健康おたく。30歳くらいから定常的に走り初め、フルマラソンはもとより、100キロ超人マラソンやトライアスロンなどにも挑戦。毎日欠かさず近所を走り、スポーツジムで鍛え、プールで泳ぎ、さらに、国内海外のマラソンレースにも積極的に参加している。

それだけではない。彼の小説を読めばわかるように、村上春樹は料理にも造詣が深い。彼ほどダンキンドーナツのドーナツの穴に愛着を感じる人はいないだろうし、パスタにいたっては1週間ぶっ続けで異なるパスタソースで食べるパスタ料理を試作し続けたという証言もある。ジャズ喫茶を経営していたこともあり、珈琲やウイスキーなどの飲み物系にも思い入れが深く、プロ並みの知識があるに違いない。

そんな多趣味な村上だが、外国小説の翻訳にも熱い。

ここでいっぱつ、彼の経歴を振り返ってみよう。
早稲田大学に上限の7年在学。在学中に結婚し、一度も就職しないままにジャズ喫茶を開業。29歳の時、処女作『風の歌を聴け』で新人文学賞を受賞。1981年、32歳の時に店を譲って専業作家となる。

出世作ノルウェイの森は、ヨーロッパ各地を点々としながらホテルや街のカフェで書いたというが(村上らしい)彼が頻繁に外国に長期滞在するようになったのは専業作家になってから。借金を抱えながら自分の店を経営していたのだから、恐らく30代になるまでは海外に行ったことすらなかったに違いない。むろん、留学経験はない。

海外とは無縁だった村上春樹が、なぜこれほど大量の翻訳を成し得たのか。それも、趣味でやっているのではなく、ほとんどすべてが活字になっている。つまり、プロの仕事だ。プロとアマの差は、マリアナ海溝くらい深い。金額はどうであれ、お金を得る以上、いい加減な仕事はできない。

村上少年は、本を読むのが好きだった。学校の授業はそっちのけで、外国小説に読み耽っていた。特にフィッツジェラルドやカポーティといったアメリカ作家ものが好きで、高校生にもなると、翻訳版では物足らず、辞書を片手に、高度に洗練された外国小説を原文で読むようになった。それが楽しくてたまらない。学校の英語の成績は平均以下であったが、英文読解力はどんどん上がっていった。

翻訳は、地道で緻密な作業だ。普段は使わない部分の脳みそを酷使する。普通の人には耐えがたい労働だ。翻訳者ほど過小評価され、儲からない職業は滅多にない。コスパ最悪。しかし村上春樹は、この苦行としか言いようのない翻訳作業を「苦痛」とは感じない。「仕事」とすら感じない。村上春樹にとって、翻訳はあくまで「趣味」。娯楽の一種だ。純粋に楽しい。止めろと言われても、やらずにはいられない。

もともと小説家をやっているだけあって、文章力は鍛えられている。使われている単語や文体に、敏感に反応する。翻訳に限って言えば、「英語ぺらぺら」である必要はない。極端なことを言えば、本を読むことが好きで、文章を書くことが好きで、文章に対する感度が高ければ、英語をひと言も話せなくても、ひと言も聞き取れなくても、かなり高度な翻訳が可能。

そのいい例が、沢木耕太郎だ。沢木耕太郎は物書きであり、ジャーナリスト。小説も書く。彼の代表作「深夜特急」は、知る人ぞ知るバックパッカーのバイブルだ。村上春樹と同様、彼も「英語の達人」とはほど遠い。TOEIC・TOEFLなんかを受けさせたら撃沈の部類に入るだろう。

しかし沢木は、文章を書くことにおいては情熱的。どんな素材も巧みに料理してしまうテクニシャンだ。ある日、自分の好きなフォトジャーナリストの著書が、日本語に翻訳されていないことを知る。どうしても読みたい。誰もやらないなら自分がやるしかない。とうとう丸ごと1冊自分で訳してしまった。

沢木は、英語ペラペラどころか、英語の教育も訓練もまともに受けたことのない英語のド素人だ。しかし、どうしても読みたいという情熱に駆られた時、人はとんでもない力を発揮する。わたしも沢木耕太郎訳によるキャパ本を読んだが、完成度は非常に高い。日本語の文章力が平凡なそこらのプロ翻訳者より、よほど自然で読みやすい翻訳であった。
キャパの十字架
キャパへの追走

なお、わたしは今、村上春樹の長編小説1Q84 の英語翻訳版を読んでいる。非常に読みやすく、辞書がなくても9.9割方はいける。小説のいいところは、難易度が一定しているところだ。読み進むごとにレベルアップしていくことはない。ペースに乗れば、英語で読んでいるのを忘れてしまうだろう。かなり分厚いが、リーディングの訓練にはお薦めだ。

(村上春樹は、自分の作品の英訳にはすべて目を通し、明らかな誤訳だけでなく、わずかなニュアンスの違いなども厳重にチェックしている。これも、他の作家には見られない、村上春樹の特徴だ。これひとつとっても、この作家の力量がわかるというものだ)

ということで、村上春樹の英語力は、ひとえに「好きこそ物の上手なれ」だ。翻訳家を目指す人なら、村上春樹の仕事にひと通り目を通すのは、非常に参考になるはずだ。




posted by ヒロミシュラン at 12:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英語をモノにする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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