菊池亜希子に学ぶ、みちくさ入門

みちくさは、著者 菊池亜希子の手作り感あふれる本だ。東京に暮らす著者が、気楽に出かけられる近所の街を、旅する気分で歩き回る。そのなかで特にお気に入りの場所を、オリジナリティあふれる文章とイラストで綴る。彼女の主な「みちくさ」ルートは、誰もが耳にしたことのある、お馴染みの東京の街だ。

東京の街を、自分の庭のように自由に歩き回る著者は、実は岐阜出身。織田信長と同郷だけに、かなり飄々とした感じの女性だ。地方出身であるためか、彼女の目に映る東京の街は、より新鮮で、より興味深く感じられるのかも知れない。1982年生まれの彼女、すでに三十路を越えているが、いい意味で少女の幼さを残した、不思議ちゃん。

そしてこの美しい不思議ちゃん、本業はファッションモデルで、女優だ。

なるほど、顔が小さく、手足は長く、首も長く、こんなのが通りを歩いていたら、ちょっと振り返ってしまう。しかし髪型はおかっぱのマッシュルームカットで、化粧っけなし。服は古着を利用した個性派で、ブランドものとは無縁。ハイヒールは履かず、年季の入ったショートブーツやビルケンシュトックのサンダル、スニーカーを愛用。

若さや、若さによる美しさは儚い。あっという間に消えてなくなる。巷ではその進行を遅らせようとか、逆行させようとか、そういった、ある意味イタい努力や試みが一大ビジネスになっているが、菊池亜希子にはどこ吹く風。こういったところ、織田信長的だといえよう。

その長い脚は、骨盤がゆるみ、根本のところからいきなり無造作に広がっている。リーチが長いだけに、膝丈スカートの裾あたりでは、ゆうに拳2〜3個分の隙間ができるほどに強度のO脚。まあ、足が長いからいいものの、これが標準丈だったら、見るも無残な蟹股である。しかし本人にそれを気にする風はない。

つまるところ、菊池亜希子は、ファッションモデルとしてはかなり異質。

いくら自然派とはいえ、彼女の生きる世界は、競争の激しい見た目重視の業界だ。天真爛漫な馬鹿ではとてもやっていけない。彼女の脚のカタチは、おそらく計算ずくだろう。その天然なキャラと骨盤のゆるさでもって「ナチュラルビューティ」を売りにする。まあ、そんなところだ。

それにしても、ボーイッシュな菊池が河原の土手や公園のベンチに無造作に座り、たい焼きやパンをぱくつく様子は、まったく絵になる。美人は得だ。

いずれにしろ、この人には、なにか、強力な根っこのようなものを感じる。

菊池亜希子は、今、この瞬間を大切に生きているようだ。若さが尊ばれる日本では、三十路も半ばを過ぎれば、立派な「おばさん」。しかし菊池は、年を重ねることすら、楽しんでいるように見える。どんなおばあちゃんになりたいか、すでに具体的な理想像があるようだ。

彼女のみちくさは、万歩計の数値を盲心し、ただ黙々と歩数を稼ぐものではない。歩きまわるうちに自分の感性につき刺さる店に行き当たったら、繰り返しそこを訪れ、商品やサービスに親しみ、オーナーと顔なじみになる。自ら作成した街マップには行きつけの店が細かく記入され、彼女の嗜好は一目瞭然だ。

菊池はまた、食いしん坊でもある。たい焼きと豆大福に目がなく、パンケーキやクリームソーダにこだわりがある。美味しいパン屋の開拓にも余念がない。それはペリカン屋やルヴァン富ヶ谷といった伝説のパン屋だけでなく、地元民に愛され、地元民しか知らない、小さな街のパン屋さんも含まれる。いろんな店のを、ほんとうによく食べている。

彼女のみちくさは、同じことの繰り返しではない。みちくさを積み重ねることで、センスを磨き、人生を豊かにしている。自分が何にときめくのかを肌で知り、それがおいてある店を丹念に見て回り、「自分の店」を発掘する。大好きな味を見つけたら、みちくさの楽しみがひとつ増え、運命の一品に出会ったら、思い切って購入し、末永く愛用する。

菊池亜希子のみちくさには、負の局面もある。

コスパの悪さだ。

菊池の購入するパンは、素材が良いためか、小さくてもかなり値が張る。その小さなパン1つで、わたしならゆうに3食は腹いっぱい食べられるだろう。菊池がぶらぶらお店をまわっているその時間で、わたしならゆうに3冊くらいの本を読破できるだろう。でもそういう観点で世の中を見てしまったら、毎日の生活は味気ないものになる。

人生、無駄も必要。いや人生は、無駄のかたまりかも知れない。そもそも生きることに、理由も目的もありはしない。今、この瞬間を真摯に生きる。自分が一番やりたいこと、一番楽しいと思えることに全力を尽くす。それが、正しい生き方らしいのだ。

早起きして、腹ペコのまま電車に乗り、隣り町まで探索に出掛ける。いつもの店で大好物のたい焼きを買い、歩きながら食べる。公園のベンチで、焼き立てのパンにかじりつく。和菓子屋で、豆いっぱいの豆大福を、口いっぱいにほうばる。お洒落な喫茶店で、挽き立てのコーヒーを飲む。商店街のお肉屋さんで、揚げたてのメンチカツを買う。たくさん食べて、たくさん歩いたら、明日の朝食用に、大好きないつものパンを買う。

まるで夢のような1日だが、これをやってやれないはずがない。用事のない1日があって、お財布に1万円札が入っていて、1日中歩き続けられる体力があって、なんでも食べられる胃袋があれば、誰にでもできることだ。そこに「コスパ」や「意味」といった概念を持ち込むから、いつものつまらない日曜日になってしまうのだ。

いつも同じようなものを食べ、いつも同じような服を着て、同じような行動パターンを繰り返し、自分で作り上げた「スケジュール」を消化することに専念し、無意味に忙しがっている全国のサラリーマン諸君、今を生きよう。

今度の週末、自分が前からやってみたかった、最高の休日の過ごし方をクリエイトしよう。最初は、コスパの悪さや度重なる散財にびくびくものかも知れない。しかしそれが普通であると感じられるようになったらしめたもの。人は慣れやすい動物だ。最高の自分を演じているうちに、それが本当の自分になるかも知れない。

健闘を祈る。



posted by ヒロミシュラン at 12:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | あの作家の日常生活を覗く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする